『古代の鋳金技法を探る』

〜自然送風による金属(青銅)の熔解実験を通して〜







【はじめに】

 現代社会において、金属は欠かすことのできない重要な素材の一つである。あまりにも多くの金属製品が身近にあり過ぎて、ほとんど気にすることはないのだが、次々と新しい合金が発明され、一見金属が使われているとは解らない携帯電話や、コンピューターなどのデジタル機器にはもちろん、最近では衣服にまで使用されている。

 もし、人類が金属を発見できず、また加工する技術を持たなければ、現在のような豊かな社会を築くことはできなかったであろう。では、人類はどのようにして金属を発見し、それを加工する技術を得たのであろうか。

 現在、考古学や冶金学の見地からも研究されているが、なかなかその答えを明確にできずにいる。そのなかでも特に、金属を熔解し鋳型に流し込んで製品をつくり出す、鋳造技法については謎が多い。よって、これまでの研究で明らかにされたことを踏まえながら、かつて存在し利用されていたであろう素材に、より近いもののみを使用して熔解炉を制作し、自然風を利用した金属(青銅)の熔解実験を試みることにより、かつての鋳造技法に迫りたいと思う。







【青銅の誕生】  


 @人類と金属との出会い  人類がいつ金属と出会い、それを加工する技術を得たのか。それは定かではないが、常識的に考えてみると、地表上に煌めく自然金や自然銀、そして自然銅などが最初に人類に発見され、使用された金属と思われる。しかし、古代の人々にとってそれは金属というよりはむしろ石の一種であったに違いない。

 はじめは特殊な石の一種と思われていた金属が、「熱を加えて叩けば、容易に形を変化させることができる。」ということに気付き、「叩けば叩くほど硬化する。」ということも、経験から知り得たのであろう。つまり、鍛造のはじまりといえる。ここで初めて金属が石とは全く別の素材であることを認識したものと思われる。



 A金属熔解(鋳造)のはじまり  1960年代、イランやトルコの高原地帯で紀元前8000〜5000年の遺跡の発掘調査が行われた。そのなかで、チャタル・ヒュユクという紀元前6300〜5500年の遺跡から発掘された銅ビーズには、ガラス質が付着しており、それは坩堝(るつぼ:金属を熔解するための深皿)で自然銅を熔解させた時に生成されたものと判定された。

 また、チャタル・ヒュユクと同様に、最古の都市国家が起こった、チグリス・ユーフラテス河三角洲地帯の、紀元前5000〜4000年の遺跡から、坩堝で自然銅を熔解して制作されたものと思われる、斧や槍先などの中形銅製品も発見された。さらに、同地域の紀元前4000〜3500年の遺跡からは、少量のヒ素、ニッケルなどを含んだ銅製工具が発見され、これは銅鉱石から製錬した銅を熔解させて、制作されたものであることを物語っている。よって、人類は紀元前6000年頃には既に、高温で熱すれば銅が熔解するという知識を持ち、鋳造による銅製品の制作を始めたということになる。また、技術の進歩に伴い紀元前4000年頃からは銅の製錬技術をも獲得していたといえる。



  B銅器から青銅器への進歩  銅製錬が開始された紀元前4000年頃の遺跡から発掘される銅器には、ヒ素を3〜10%含んだものがある。これは、この時代銅鉱石を採取する際に、地表近くの酸化銅や炭酸銅の鉱石層よりさらに深い、ヒ素を含んだ層にまで採掘が及んだためであるという説がある。このような、ヒ素を含んだ銅鉱石を製錬して得た含ヒ素銅は、鋳造する際に純銅よりも硬化が著しく、強度も高い。よって、純銅よりも工具や農具に適しているといえる。

 偶然にもそれに気付いた古代人は、銅製錬を行う際に鉱石を使い分け、多くの経験を積むことで、銅製錬の原料に錫石を加えると、さらに強い銅(青銅)をつくり出すことができるということを発見したと推測できる。 こうして、紀元前3000年頃から東地中海のエーゲ海諸島や沿岸地方で、含ヒ素銅や青銅が現れはじめた。そして、紀元前2700年頃には、最高強度が出てかつ脆くない銅90%、錫10%という青銅の混合比率を獲得していたと思われる。







【古代の鋳造技法の推測】


  @古代の坩堝  前章で、人類は紀元前6000年頃には既に、鋳造による銅製品の制作を始めていたことを述べた。では、当時の人々はどのような坩堝を使用して、銅を熔解させていたのだろうか。

 新石器時代の人々が土器を制作するようになったのは、食物などを貯えるための籠などに粘土を塗り込むと、水をためておくための容器になることに気付き、さらにそれを焼くことで、強度があり長期間食物を保存できる、瓶や壷になることを発見したからだといわれている。そう考えると、土器を制作できれば坩堝も焼成でき、そのなかで銅を熔解することも可能であるように思われる。しかし、ここで大きな問題があることに気付く。銅の融点は、1080〜1090℃である。野焼で制作された、日本の縄文式土器の焼成温度は500〜700℃程で、一時的に1000℃に達する程度であり、銅を熔解させることは不可能といえる。銅の融点をこえる温度で焼成された土器を考えると、1200〜1250℃程で焼成された須恵噐などが、制作されていた時代以降のものになることが解る。

 つまり、銅を熔解する技術を持った、チャタル・ヒュユクでは、既に野焼ではなく、須恵噐を焼成した時代の、穴窯のような窯炉で、土器を制作していたものと思われる。いずれにしても、高度な土器制作技術なくして金属の熔解は成せなかったといえる。



 A古代の熔解炉と構造  金属を熔解することにおいて最も重要なことは、どのようにして高温を発生させ、それを維持するかということである。物理的に、熔解する金属の融点を越える温度を、長時間維持できなければ、金属を熔解することも製錬することも不可能である。ではどのようにすれば高温を維持することができるのか。

 ここで私は、その秘訣が送風にあるのではないかと考えた。熔解炉の内部に強い風を送り込むことによって、高温を得ることができる。鉄器時代には鞴(ふいご:送風機)による送風が見られ、これは、地域によって形や使用法は異なるが、高温を維持するための道具という点では世界共通といえる。 このような道具は、人類が金属の熔解、製錬を繰り返し行うなかで、より効率をあげるために発明され、発展していったものと考えられる。常識的に考えても、人類はまず道具を発明し、その後それを使用することによって、金属の熔解、製錬技法を獲得したとは考えにくい。

 よって、人類が初めて金属を熔解した熔解炉は、鞴などの道具を使用せず、何らかの方法で送風できるように、炉の構造を工夫した、自然送風炉であったと思われる。では、古代の自然送風炉とはどのようなものであったのか。



 B自然送風炉の構造推測  古代の自然送風炉の構造を考える上で注目したいのは、古くから銅を熔解していたと思われる、チャタル・ヒュユクやチグリス・ユーフラテス河三角洲地帯の周辺地域は、高原地帯や山岳地帯であったことである。また、当時使用されていた坩堝は、前に述べたように高温で焼成するために、穴窯式の窯炉で制作されたものと推測される点である。

 つまり、古代の人々は、一定の風が吹く高原地帯や山岳地帯の斜面を利用し、穴窯式の窯炉を生み出した。次いでその窯炉に工夫をこらすことで、銅を熔解、製錬することが可能な、熔解炉を発明したと推測できるのである。あくまでこれは推測の域を出ないのだが、そうであったのではないかと仮定し、当時のそれに近い熔解炉を制作し、銅(青銅)の熔解実験を試みた。







【金属の熔解実験】


 @熔解炉  古代の人々が、高原地帯や山岳地帯の山の斜面を利用し熔解炉を発明したと推測されることから、<写真1>のような熔解炉を制作した。
<写真1>


 この熔解炉の特徴は、斜面にみぞを掘り煉瓦でふたをして、煙突状にした点である。現在ではあまり見られなくなった薪ストーブがこの工夫のヒントになった。

 薪ストーブは、本体を室内に設置し、本体から屋外(屋根等)に煙突をつないで、煙を逃がすというような仕組みになっている。このストーブで薪を燃やすと、ゴー、ゴーと音をたてながらかなりの勢いで燃焼し高温を発する。このことは、煙突自体に屋外に吹く風を利用して、室内の空気をストーブの内部に吸い込むという働きがあり、それによって、薪の燃焼率を高める効果があるということを明らかにしている。このような煙突の効果を熔解炉に利用することにより、人工的に送風口から空気を送り込むというのではなく、むしろ空気が自然に熔解炉の内部に、吸い込まれるように工夫した。



  A材料・道具  今回の実験では、燃料に薪、木炭のみを使用することにした。古代においては、燃料として現在使用されているような電気や灯油はもちろん、ピッチコークス等も存在していたとは考えられない。よって、当時の遺跡から木炭のかけら等が発見されているという事実に基づいて、木炭は使用されていたものと仮定し、実験を行うことにした。

 ・炉蓋(ろぶた)や坩堝は、信楽粘土を1230℃で焼き締めたものを使用することにした。かつての粘土がどのようなものであったのかは明らかではないが、今回の実験では、できるだけ耐火性に優れた粘土を素材として制作した炉蓋、坩堝を使用することにした。

 ・熔解炉を制作する材料として、耐火煉瓦を使用した。かつては、現在使用されているような耐火煉瓦とは異なり、粘土に枯れ草や藁(わら)をまぜて制作された、日干し煉瓦を使用していたと思われる。しかし、材質的にはどちらも粘土を素材としていることから、今回の実験では、耐火煉瓦を使用することにした。

 ・熔解炉内部の温度を逃がすことなく、効率良く燃料を燃焼させるために、ベト(粘土質の土に適度の水を加えて練ったもの)で、煉瓦と煉瓦との隙間を塞ぐことにした。

 ・金属(青銅)を流し込む鋳型は、真土型(まねがた:川砂と山土を混合して素焼の状態まで焼いたもので作成した鋳型)とし、当時はまだ鉄を発見していないことを考慮して、筋金(鋳型を強化するための鉄棒)には竹を代用することにした。



  B実験方法  

  *炉の内部に、坩堝を設置する。<写真2>
<写真2>


  *坩堝の中に金属(青銅)を入れる。

  *薪に火をつけ、火が全体に廻った後、木炭を加える。

  *炉に蓋をして、炉内の温度があがるのを待つ。

  *木炭が燃焼して減れば、随時追加する。

  *下湯ができたら、さらに銅を追加していく。湯の量が十分になるまで行程をくり返す。<写真3>
<写真3>


  *十分に湯ができたら、湯面に藁灰(わらばい)を被せ保温する。

  *炉内の温度が上昇し、湯面が鏡面状になるまで待つ。

  *耐火煉瓦とべトで、やかまど焼窯をつくる。

  *鋳型が素焼の状態になるまで焼く。

  *色見を確認しながら、完全に色が入るのを待つ。<写真4>
<写真4>


  *色が入ったら窯を崩し、鋳型を設置する。  

  *取箸で坩堝を取り出し、素早く鋳型に流し込む。<写真5>
<写真5>


  *鋳型が冷めた後、鋳型から作品を割り出す。<写真6>
<写真6>


作品を仕上げ、着色する。<写真7>
<写真7>


  C実験結果  以上のような実験で、30分程で下湯ができ、金属(青銅)4kg程を熔解させるのに90分程かかることが解った。結果として、燃料に薪と木炭のみを使用し、煙突の効果を利用した自然送風で十分に金属(青銅)を熔解できることが解った。

 しかし、この実験を通して、幾つかの問題点も明らかになった。例えば、この形式の熔解炉を使用して金属を熔解する場合、最大量は10kg程度でありその量に限度があること。また、今回は熔解炉から坩堝を取り出す道具(取箸)として金属(鉄)を使用したが、これは前にも述べたようにかつてはまだ発見されていない素材である。よって、かつての鋳造においては、何らかの耐熱性のある道具が使用されていたものと考えられるが、その道具がどのようなものであったのか解らないこと等である。このように古代の鋳造技法はまだ多くの謎に包まれている。 

今回の実験においては、確かに自然送風での金属(青銅)の熔解に成功した。しかし、これはあくまで一つの推論における実験結果であって、古代の鋳造技法を立証するには程遠いものである。 少しでも古代の鋳造技法を明らかにして行くためには、今後も様々な角度から、さらに深い研究が必要であると考える。







【おわりに】


 私は、今回の実験を通して、予想以上に様々なことを学ぶことができたように思う。古代の人々は金属を発見し、長い年月をかけて経験と知恵を積み重ね、それを先代から後代へと伝承しながら道具等を発明し、金属の鋳造技術を発展させた。その過程においてどれほどの苦労があったのか計り知れない。

 私は今回、古代の鋳造技術を探るため、古代においては傾斜のある土地に熔解炉を制作し、また、そこに吹く自然風を利用して鋳造が行われたという仮説を立て、金属の熔解実験を行った。確かにこの実験は、推測の域を出ないということはもちろん、古代の鋳造技法を明らかにするには程遠いものである。しかし、私は実験を通して古代における物理的な鋳造技法よりはむしろ、古代の人々の心や、人と自然との協調の大切さというものに触れることができたように感じる。

 古代の人々は自然の偉大さを知り、それを敬い、日々の生活を営んでいたに違いない。そうであったからこそ古代の人々は、彼らにとっては新しい自然が産み出した金属という素材に出会い、自然の力を借りることによってそれを鋳造する技術を得ることができたと思うのである。自然との協調。私達現代人が忘れかけていることである。 
 私達の生きている現代社会は、めまぐるしく変化している。携帯電話やパソコン等のデジタル機器の普及による情報化、工業においてもロボット等の導入による機械化が進んでいる。このような科学の進歩によって社会は発展し、私達の生活は豊かなものになっているように思える。しかし、豊かになればなるほど、人々はさらに豊かになろうと新しいものを追い求め、よりいっそうの発展を望む。そのためには、自然破壊など省みない。 その結果、酸性雨やオゾン層破壊、ダイオキシン汚染などに悩まされる結果となった。自然と協調しながら生活を営んでいたであろう古代の人々が金属という新しいものに出会い、鋳造技法を発展させた時とは大違いである。

  温故知新という言葉があるように、本当に新しいものを求め更なる発展を望むのであれば、古代の人々のように先人達が残してくれた経験や知恵、そして何よりも心を大切にする必要があるのではないだろうか。私は今回の実験を通して、そのことを痛切に感じた。





参考文献】


『鋳造工学』
中江 秀雄 著  産業図書kk

『銅の文化史』
藤野  明 著  新潮選書

『鉄と人間』
原 善四郎 著  新日本新書

『日本鉄鋼技術史』
下川 義雄 著  アグネ技術センター

『人と金属の歩み』
原 善四郎 著 アグネ技術センター

『セラミック窯炉』
長坂 克巳 斉藤 太一 共著  共立出版kk
野上 正行 津坂 和秀

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